新頭町戯曲集

複数人の作家で作られる戯曲によるエセメタバース

劇作家Z氏とインタビュアー君による公開講座6〜気遣いの幽霊をただただただただ振り返る〜

「劇作家Z氏とインタビュアー君による公開講座6〜気遣いの幽霊をただただただただ振り返る〜」
 
●登場人物紹介
劇作家Z氏、バンホーテンのアイスココアが好き。
インタビュアー、利きティッシュができる。
 
●前回までのあらすじ
劇の歩行速度について、Z氏の悲しい過去(毎晩スラムダンク見てた)を元に考えた。
 
 
 
キーンコーンカーンコーン
 
 
Z氏
いやあ、初めましての方は初めまして、2度目ましての方は2度目まして、何度目かましての方は何度目かまして、どうも、地位も名誉も名声も富もかなぐり捨てた孤高の荒野の劇作家、Zです。今日も頭町大学から講義頑張ります!
 
インタビュアー
孤高の荒野の劇作家だったんですね、Z氏って、
 
Z氏
そしてこちらが、いまだに名前も決まっておらず、ダラダラ、頭町という超チンケな仮想空間でインタビュアーをしているインタビュアー君です。どうぞよろしく。
 
インタビュアー
本当に久しぶりですね、私って存在がここにいることが奇跡だと思えてきましたよ。
 
Z氏
まあまあまあまあ、いやああ、忙しかった。
 
インタビュアー
でしょうねえ、仕事しながら学校行ってるって言ってましたもんね、前回。
 
Z氏
っていうかっていうかよ、演劇の本番してたから先週まで、
 
インタビュアー
え、演劇の本番?、やってたんですか?、え、なんで僕誘ってくれないんですか?、僕こそ観に行くべきでしょう。こうやってインタビューしてるんだから、
 
Z氏
いや、だって、場所、I袋だし、頭町からは流石に行けないかなって、
 
インタビュアー
いや、行きますよ、I袋、全然行きたかったですよI袋、I袋ウエストゲートパーク好きっすよ、マコチン、マコチン、ってキングに憧れてこの世界入ってきたんですから、
 
Z氏
この世界ってどの世界よ、あ、いいやいいや、答えないで答えないで、全然進んでいかなくなるからいいやいいや答えなくて、つまりね、先週まで僕はKタレの第一回本公演「KづかいのY霊」の上演があったわけ、それで激くそ忙しかったわけ、だけど、楽しかったあ、もう、抜け殻ですね、魂抜け気味ですよ、いや、すごいね、やっぱ演劇って楽しいね、でも流石に、疲れた、疲れたけど、色々本番して考えなきゃなあってこともあって、あ、そうだ、頭町あるじゃない、全然更新してないし、せっかくだから使っとこっかなって、わざわざここにやってきたってわけよ。
 
インタビュアー
うわあ、都合の良い恋人みたいな感じでこの場所使うのやめてほしー。
 
Z氏
ていうわけでお久しぶり、元気してましたか、学生諸君、
 
学生A
おめえ、学費返せよ、
 
Z氏
相変わらず、威勢がいいなA君、学費?、そんなもん俺の手元には一切入ってきていないんで返す学費なんてないよ、その代わり、楽しい話をしてあげるよ、激作、演技、演出に関する楽しい話さ、
 
インタビュアー
なんでこの人わざわざ自分からハードル上げるんですかね、
 
学生C
先生、お久しぶりでごわす。
 
Z氏
おうおう、優等生の宝田明君じゃないか、君そんなゴワス口調だったっけ?
 
学生C
そうでゴワスよ、今日もバリバリメモ取らせてごわしますでゴワスよ、
 
Z氏
取りたまえ!メモをどしどし取りたまえ!しかしこれ、コピペやろうと思ったらできるけど、手を動かしてなんぼですからね、人間、手を動かしてなんぼですよ、
 
インタビュアー
本題入ったらどうですか?
 
Z氏
うるさいなあ、僕のペースでやってるんだから邪魔しないでもらえる?、ほら、レストランでもあるでしょ、前菜とかスープとかあってのメインが来るんだから、鍼灸も同じらしいよ、前菜の施術があって、主訴の施術って、ちゃんと流れで組み立てるのが重要らしいよ、
 
インタビュアー
へえ、鍼灸もそんな流れがあるんですね、デザート的な施術もあるってわけですか?
 
Z氏
そうそう、めっちゃ重要よ、しめだからね、あまーくしめないと完璧な施術にはなんなないってことですかね、いよおおおおおし、前菜終わり、
 
インタビュアー
無茶苦茶雑だなあ、
 
Z氏
メインメイン、メイン行きますよー、
 
インタビュアー
今日はなんの話ですか?
 
Z氏
気遣いの幽霊について振り返ります。
 
インタビュアー
自分の演劇についての振り返りを大学の講義で!斬新だ!
 
Z氏
ま、こんなもんですよ、人生なんて、いやはや、何から話していきまっしょいか、何からがんばっていきまっしょいか、
 
インタビュアー
懐かしい、若かりし頃の鈴木杏の姿が昨日のことのように目に浮かびますよ、
 
Z氏
相武紗季とか出てたよね、相武紗季、最近全然見ないね、
 
インタビュアー
結婚したんですかね、全然知らないですけど、って、がんばっていきまっしょいの話はいいんですよ、メインメイン、メイン料理行っちゃってください。
 
Z氏
、、、カバチタレってなんだっけ?
 
インタビュアー
メイーーーーーーン、メイイイイーーーーーン、行ってください、メインに、どうぞ。
 
Z氏
いやはや、そうですね、僕も時間ないですからね、今手塚治虫ブッダ読んでて、これ早く読み切らないといけないから、話すね、ええと、何から、話していこうかな、まず、そうね、戯曲、これね、はい、これ、戯曲、
 
 
インタビュアー
戯曲あげちゃってるやん、
 
Z氏
プライドも何もないからね、読んでもらったほうがいいし、
 
インタビュアー
ほーう、これは、また、Z氏にしては、長いの書ききりましたね、
 
Z氏
そーう、もっと、褒めて、もっと、褒めて、ってそんなどうでもいいやり取りは置いといて、ですよ、まずね、、まず、何から話していこうか、、ゴーゴリね、つまり、ゴーゴリの「外套」って小説を出発点にしたわけね、外套の最後からしりとりみたいな形で、現在の物語を始めているわけ、つまり「外套」は万年九等官、アカーキイ・アカーキエヴィチ・バシマチキンが外套を極端な節約生活のもと手に入れるんだけど、その日の夜のパーティの帰り道追い剥ぎにあって、取り返すすべなく、扁桃炎で熱出して亡くなって、幽霊になって出没して、人々の外套奪って、なんかさる有力者の外套がしっくりきていなくなるって、よくわからん終わり方するんだけど、今作「気遣いの幽霊」は幽霊になるまでの物語を丸々省いてて、幽霊になってからの物語に仕立ててあげているわけです。つまり「外套」の最後の方を始まりにしているから、しりとりですよね、そして、このしりとりって感覚、どこかで聞いたことありませんかね?
 
インタビュアー
しりとり?、ジャルジャルですか?
 
Z氏
全然違います、つまり、アミダクジ式よね、後藤明生です。え、ジャルジャルてそんなネタあったっけ?まあ、いいや、いやあああ、今回ね、面白かったのは、あれね、アフタートークで、劇作家演出家の島村さんがこの公演を俳句的だって見てくれたことですね、で?ってなる演劇、そんな感覚で作ってなかったのだけどすごくしっくりきた。逆にでもなんで俳句的って言葉にそんなに納得いっていしまうのかちゃんと考えねばならんとも思った。で、ずっとわからないでいる。いや、もちろん島村さんの説明わかりやすくて、松尾芭蕉奥の細道取り上げて場所にフォーカスした話や、尾崎放哉の句、「なんにもない机の引き出しを開けてみる」を持ち出して、日本人の根底に本当は何にもないのに、なんかあるはずだって思ってることによる気遣いの鍋パが展開されるって話もすごく面白かった。で、俳句ってなんだろうって思ってたんですよね、俳句って言われてパッと浮かぶのって季語っすよね、俳句の基本ルール季語使うですもんね、で、この戯曲において季語ってなんなんだて思ったんすよ、ていうかそもそも季語ってなんなんだって、思ったんすよ、で、あ、こりゃ、ゴーゴリが季語なのかもしれないなと。
 
インタビュアー
ゴーゴリが季語?、どういうこと?、人って季語になるんですか?
 
Z氏
うん、そうねそうね、どういうことってなるよね、僕もなってる、でも待って、つまり、後藤明生後藤明生ゴーゴリカフカドストエフスキーや太宰や芥川や谷崎や永井荷風やもう、あらゆる小説を元に小説書いたわけですよね、彼が言う「千円札文学論」、つまり、なぜ小説を書くのか、それは小説を読んだからだ、ってなるほどーとなるわけですが、確かにそうですよね、ゴーゴリ読んだからこの作品できたわけであって、もっと言うと、後藤明生読んだからできてるわけですよ、今回の舞台、上京してから様々なものが結実してできてて、やっとスタート地点立ったねっていろんな人に言われて、泣いちゃったけど、そのうちの一つは、後藤明生です。つまり、後藤明生って俳句的に言えば、「外套」を、もっと言うと「ゴーゴリ」を季語として扱ってるってことなんだと思ったのね、元々俳句雑誌編集してて、今劇作家友達の上田さんって人と話してて感動したことがありましてね、僕が俳句に興味持ち始めた時に話してくれたことなんですけどもね、季語ってのは良いよって話で、先人たちが何回も何回も詩に使ってきた言葉が季語なんだと、先人たちのシミにシミに染み尽くしたものが、季語に値する言葉に備わっているって、まあこんな言葉は使ってなかったんだけど、このようなことを上田さんが言ってて、感動したんですが、つまり季語使って俳句作るってことは、それらの歴史の中にくっつくわけですよね、その言葉に新たな染み込み成分を含ませることになるわけでしょう、そういう意味で、後藤明生が代表作「挟み撃ち」において「外套」、いや、もっと言うと「ゴーゴリ」を季語として使ったってことではないかと思ったのね、や、俳句的に見た時にね、なんも言ってないよ、長々となんかエピソードトークとか挟んでしちゃったけど、これまでのくだり、実は実際的な発見としてはほぼほぼ何にも言っていない、ただ、小説を読んだから書くのだという後藤明生の考えと、俳句における歴史?、って言い方は大きすぎてどうなのかわからないけど、いろんな人がその言葉に染み込ませてきた大きな流れの中に仲間入りするって俳句の考えが、なんとなく一致したような気がしたわけ、そう考えてみると、シェイクスピアチェーホフイプセンベケットも、今でも上演される古典戯曲って、季語化してるんじゃないかなと思ったのね、現代ではそれを使ってどういう風に大きな流れの中に仲間入りするか、演劇、小説、俳句、いや、なんだってそうなのかもしれないんだけど、季語的なものが関与してるんじゃないかと思ったわけ、ああ、話、壮大すぎるな、
 
インタビュアー
なんか、壮大すぎるけど、大丈夫ですか?今日?
 
Z氏
わかんない、心がどうにかなっちゃってるよ、ま、でも現在地、見えてきてるよね、前回も話したけど、自分のしてきたこと、言葉にすることでこれから何がやりたいか見えてくるって精神でいるので、なんでも喋ってくつもり、一つは、俳句、もしくは怪談にも関わるのかもしれないけど、もっと勉強したい。すればするほど、死んでもわかんないかもしれないけど、演劇って何かに近づける気がしてる。で、そうね、今回の舞台も、冬の公園のベンチから始まって、夫婦の家の中、フォーの店、井の頭公園、カラオケ、鍋パ、善福寺川沿い、環八通の交差点、とあらゆる場所があって、その中で島村さんが冬の公園のシーンで出てくる空き缶のプルタブをプーンと鳴らしているとこ、まさに俳句って言ってくれたんですが、つまりそういうことだよなあって、そんなもん物語の流れから見たら絶対に必要なものではないんだけど、俳句はそれを詩にできるでしょう。というか俳句は得意だと思う、そういうの、だけど演劇にもその可能性があるって思ってるわけ、そういうどうでも良いかもしれない現象を立体的に、体験的にもっと遊び尽くして良いんじゃないかって考えてるってことなんだけど、あと戯曲書く時にその登場人物がいる場所を想像できているかってすごく重要なことだと最近思ってる。そこに何があるのか、その場所で何が起こりうるのか、人間ってそういうことでしか会話していなくないかとも思うんですよね、、なんかエピソードトークしてる時に、前までカツ屋だったとこが潰れてなくなってるって時に、そのエピソードトーク遮ってしまってでも、あ、カツ屋なくなってるって言っちゃうとこってあるやない、その場の驚きが会話を食い尽くしてしまうことってあるやない、演劇作っていくと、どうしても物語の流れを重視してしまうので、その場で何が起こりうるか疎かになってしまう感覚があって、本筋のために、俳句的なものが捨てられる感と言いますか、そこらへん、うまく言えないけど、もっと楽しみたい、つまりゴーゴリの話に繋がるんだけど、ゴーゴリ面白いのは、そんな細かい描写要らんやろってところで、何故か関西弁出ちゃってますが、あれ、おかしいな、僕はこの世界では頭町出身の劇作家ってことになってるけど、何で関西弁出ちゃってるんだろ、
 
インタビュアー
大丈夫です、そんなこと誰も気にしてませんから、続けて続けて、
 
Z氏
あ、ゴーゴリね、つまりゴーゴリの話ね、まりさんとのアフタートークでもちらっと話したんですが、登場人物の、細かい描写、何でそんなとこ描写してるの?ってやつ、すごく好きで、ペトローヴィチの嗅ぎタバコ入れの柄とか、アカーキイって名前がつけられるまでのやり取りとか、さるおえらがたの口癖、厳格!厳格!とか、登場人物の際立たせ方、上手いというか面白いというか、その一文で、ちゃんと紹介するよりその人物を分かった気になれるものがすごいって話だったんだけど、ゴーゴリ伝って本読んでたら、ゴーゴリは朗読が上手かったって描写があるのよね、で、ぽろっとアフタートークで喋った後に、じわじわと実感してきたのが、やっぱりゴーゴリって小説というかお話を披露するって感覚で書いていると思うってことなのよ、パーティやらで披露してる感覚あると思うんだよ、つまりゴーゴリの小説って、目の前に観客がいるんじゃないかって思ったってことね、これ、じわじわとめっちゃ発見なんだけど、小説って読み手は想像するけど、観客じゃないじゃない、読み手と観客の違いってなんだろうって話になってくるんだけど、少なくとも観客って場をつくるんですよね、朗読してる時の雰囲気は朗読者だけじゃなく、観客との共同作業でできるわけ、だから随所にユーモアっていうのかな、漫才でいうつかみとか、あと、物語の線と離れて、現実世界からの目線でのツッコミみたいなものも入れて、少しでも観客を楽しませようとしているところがあると思う、これがゴーゴリにおける語りの小説の仕組みなんでないかなあって、書いているというより、語ってる、もっと言うと、お客さんにお話を披露している、こーれ、ジワジワと個人的にはすごい発見で、
 
インタビュアー
読み手と観客は違うって話面白いですね、でもその話で言うと、演劇も観客を想定してつくられますよね、
 
Z氏
なんだろうなあ、ゴーゴリの朗読って感覚とちょっと違うというか、ま、落語とかに近いのかもしれないんだけど、あと、子供がお母さんやお父さんに絵本読んでもらう感覚というか、なんだろう、純粋にお話を話す、それを純粋に楽しめる、ってものといわゆる一般的に今作られてる演劇はなんか違う気がするんだけど、よくわかんないけど、いいや、今日時間ないから、他にも話すこといっぱいあるから、
 
インタビュアー
ブッダ読まないといけないですもんね、
 
Z氏
えっと、なんの話したっけ、俳句の話したよね、で、ゴーゴリも話した、それでね、それでそれで、あ、そうそう、演出の話ね、戯曲の話にもなるか、あ、そうだそうだ、今回の舞台、幕張って、俳優が基本位置にいるって前回の「犬、呪わないで」や「Kちゃん怪談」、あと「ひょうひょう」って三月にした短編公演を全部混ぜこぜにしましたってつくりになってて、ああ、どっちから話そう、ここですでに話したいことが枝分かれしそうなんだけど、ま、とりあえず戯曲の話からいこう、つまり、「犬、呪わないで」の夫婦が出てるわけ、同じ名前で、手塚治虫スターシステムって考えをやってみたいってのと、ワークショップしてくれた、あああああ、ワークショップの話ももっとしたいね、いや、待て、一瞬で終わらせる、ワークショップしてくれた横尾さんが、スタニフラフスキー時代のロシア演劇の話してくれてたんだけど、スタニフラフスキーが色々今に繋がる演劇の革命してくれたってことなんだけど、それまで、ストックキャラクターってキャスティングの考えがあったわけらしいのね、つまり、王様役やる王様っぽい見た目の俳優、ヒロイン役やるヒロインっぽい見た目の俳優、お調子者ぽい見た目の俳優、って劇場が雇ってて、こういう役はこの人に任せるって、精神性関係なく、見た目でこの人はこの役って割り振られていた、って話、つまり、それやると他の役できなくなるし、色々あって、キャラクターをストックするって考えがなくなっていったらしいんだけど、なああんか、今後使えるんじゃないかって、スターシステム、ストックキャラクター、共同劇作をする上で重要な概念だと思いはじめている、つまり内容の共有じゃなく、登場人物の共有化、これが一つなんか鍵になるんじゃないかしら、ってところで、はーい、枝分かれした、分岐点に戻って、演出の話ね、
 
インタビュアー
いつにも増して生き急いでますね、どうしたんですか?今日、なんかあったんですか?
 
Z氏
え、聞いてよー、もうしんどいんだよー、学校毎週テストなんだよー、なのに映画出演するんだよー、それで、勉強しないといけないのに、現実逃避なのかなんなのか頭町来て喋ったり、ブッダ読んだりで日曜終わっちゃうよー、うわーあああああああああ、ま、いいや、早く終わらせよ、
 
インタビュアー
感情が錯綜してますね、今回、
 
Z氏
演出の話ね、色々言われたけど、一番考えなきゃいけないなあって思って一切考えられていないのが、結局初期のチェルフィッチュだよねって言われたって話、うーーーん、でね、そっからは逃れられないのかあと思いつつ、つくってる感覚として、チェルフィッチュ意識一切ないんですよね、だからなんなんだろうって、伝聞の伝聞って、これ、後藤明生の長女の松崎さんがやってるアーリーバード・ブックスから文フリとかで発売しているCD、後藤明生文学論講義『吉野葛』で話していることや、後藤明生プラトンの「饗宴」だとかについてあらゆる本で語ってることの演劇的実践になるわけだけど、以下でCD買えます、面白いので是非。
 
 
つまり、伝聞の伝聞の伝聞による歪みの面白さでつくられたものなのよ、チェルフィッチュここに来てちゃんと読み返したいなって思ってから読みなおせていないんだけど、入り口ではチェルフィッチュ全く意識してなかったわけ、結果的に現れてくるのものが似てくるってことなのかもしれないんだけど、ここ、でも実際何が違うんだろってところはちゃんと考えないとなあて思いつつ、全然わからないでいる。全然わからないでいるのでなんか思ったことある学生いたら教えてくださいね、っていうか飲みに行きたい、カラオケ行きたい。
 
インタビュアー
え、え、何、急にカラオケ行きたくなってる?
 
Z氏
カラオケは行きたいんだけど、あと演出ね、演出で気づいたこと言うね、
 
インタビュアー
軌道修正が速い!
 
Z氏
今回、僕は出演せずで演出って立場で外から見てて気づいたことね、つまり、演出ってルールをつくることかもしれないって学んだわけよ、枠って言い方でもいいかもしれない、僕はこれまで演出してこなかったから、俳優と戯曲書くのはしてきたけど演出は実際そこまで自信ないんだけど、俳優も演出家でなきゃいけないって考えとかもあるし、なんか、そうね、つまり、今回というか最近の僕は舞台の絵画的なものにこだわっているわけで、こう動いてここで喋って欲しいってくらいしか俳優に言ってないのね、あ、あと、今回意識の速さが重要な劇だったので、意識早く進めて欲しい、とかそういうとこしか言っていない、細かく細かくこうしたほうがいいんじゃないかってのは基本提案みたいな形ではするけど、動きの動線とテンポってルールさえ守ってくれたらあとは基本どう演技してもいいよってスタンスだったわけ、それでみんないい演技してくれたから本当、俳優に救われたってことなんだけども、つまりこのルールの中で遊んでね、楽しんでねってゲームみたいなもので、演出家によっては、このルールが厳密に組み立てていく人もいれば、ルール全然ないみたいな人もいるし、って時に、でも、どっちもそこまで変わりないんじゃないかって気もしてきたわけね、どんなにたくさんルールをつけられても、その中のどこかしらには余白があって、役者にしか操れない領域があるって気がしてて、逆にどんなにルールがなくても、ここでは出ていないといけないとか、そもそも、セリフってものがある時点でかなりのルールだと思うんだけど、で、でね、演出家の設定するルールと役者の設定するルールで演技はできるんじゃないかって思ったのね、演出家と違う形で役者はルールを設定しているんじゃないかって、こーのへん、僕は役者としての実感として喋ってるわけでないので、役者の人たちからの話を聞けたら嬉しいなと思いつつ、あと、話したいことなんだ!なんだと思う?
 
インタビュアー
いや、僕に訊かれましても、
 
Z氏
あとは、、そうね、音楽劇をつくりたかった。音楽を使わない音楽劇、アンケートに音楽みたいだったって感想あって、嬉しかった。以上。
 
インタビュアー
え、それだけ?、音楽劇の話、もっとしたほうがいいのでは?
 
Z氏
疲れましたー。ブッダ読みますー。
観に来てくれた方、気にかけてくれた方、ありがとうございましたー。
解剖学の試験のため、脳神経の復習に入りますー、今日も長々とありがとうございましたー。
 
 
 
 
キーンコーンカーンコーン。