新頭町戯曲集

複数人の作家で作られる戯曲によるエセメタバース

罪の呼吸

☆登場人物紹介
ターくん、五歳児
佳恵、ターくんの母、どこにいても方位磁石なしで方角がわかる




ターくん
オカアサン、オカアサン、他人の鼻くそを食べて罪を償うことはできますか?


佳恵
ターくん、鼻くそ食べたの?食べちゃダメよ、鼻くそは、身体に毒ですからね、


ターくん
身体に毒なものを身体に入れるから罪滅ぼしになるのではないでしょうか?


佳恵
他のものを食べなさい、鼻くそでないものを食べなさい、納豆を食べなさい、ターくん嫌いでしょ、納豆、


ターくん
ターくん、納豆嫌い、だけど本当にそれで罪を償えるのだろうか、


佳恵
ターくん、何したの、ターくん、どんな罪を犯したの?


ターくん
先日の保育園の自由時間のことであります、マサヒデ君が持ってきてはいけない玩具、ボタンを押すと発光する刀状の玩具を持ってきていました、ターくんとしましては、それは保育園のルール違反、何故なら、保育園所有の玩具で遊ぶのは構いませんが、自分の家から玩具を持ってきてはいけないからです、でありましたので、重々注意すべきだと思われました。しかし、まわりの者達はマサヒデくんを取り囲んで、いいなあ、かっこいいなあ、うらやましいなあ、と称賛の声をあげています。発光する刀状の玩具の別のボタンを押すとアニメのキャラクターの声が刀から発せられます。ゼンシュウチュウ、ミズノコキュウ、イチノカタ、そして彼は闘うのです、己の運命に抗うように、己の愛する者を守るために、しかしそれはそれ、これはこれ、保育園非所有の玩具で遊ぶことは保育園では許されていないのです。私は彼に告げました。保育園非所有の玩具で遊んではいけないぞ、だけどマサヒデくんは、とりゃあーと叫んで切れもしない玩具の刀で切りかかってきます。私はあなたの敵ではない、話せばわかる、話せばわかる、おりゃあー、いや、ちょっと待とうよ、話し合いから解決するのが民主主義の、とりゃあー、いや、とりゃあー、そこで私は張り詰められた理性の糸がプツンと切れる音を聞きました、人間には言論の自由がある、言葉を遮られて言論の自由を脅かされた私の怒りは頂点に達したわけです、やめろ、と私はマサヒデくんに告げました、黙れ、とも告げたかもしれないし、シャラップ、とも告げたかもしれない。私は右手で保育園非所有の玩具を掴み、左手でマサヒデくんの頭を掴みました。頭の掴み方は多少力を入れすぎてしまったかもしれない、なにしろ指が頭にめり込めばいいと思っていましたものですから。マサヒデくんは泣きました。あ゛あ゛ーー、とまさに「あ」に濁点の付いているようなわめき声で泣きました。まわりのみんなはマサヒデくんに駆け寄ります。マサヒデくん大丈夫?、マサヒデくん痛かったね、痛いの痛いの飛んでいけー、マサヒデくん刀使わないなら借りていい?、あ゛あ゛ーー、マサヒデくん、わたしマサヒデくんのこと好きだわ、マサヒデくんのママって若くない?、マサヒデくんはトイレのスリッパをきれいに並べていました、ミズノコキュウ、ゼンシュウチュウ、でもマサヒデくん、トイレの後に手を洗わない習性があるのでちゃんと手を洗ってください、あ゛あ゛ーー、沙織先生が大福を食べながらやってきました、口のまわりが白くなっていました。どうしたどうした、おまんじゅう食べるか?、あんのうね、沙織先生ね、うあああ、うあああ、じゃわかりません、ほら、立ち上がって、しゃんとして、おまんじゅう食べるか?、先生おまんじゅうください、食いしん坊のノブヤス君が言いました。僕も、食いしん坊でないタツオ君が言いました、わたしも、ひまわり組マドンナのミサトちゃん、オイラも、おっちょこちょいのショウゴくん、アタイも、ヤンキーのナオコちゃん、自分も、誰もが認める昆虫博士マサミチくん、俺も、ワタクシも、ボクチンも、わても、僕も、拙者も、チンも、おいどんも、我輩も、皆が皆、饅頭を求めました、まんじゅう、まんじゅう、まんじゅう、まんじゅう、まんじゅうコールが巻き起こりました、まんじゅうー、と声を合わせて叫ぶと、給食室からまんじゅうーとレスポンスが返ってきました。まんじゅうコールアンドレスポンスが沸き起こる中、私はマサヒデ君が不憫に思えて仕方ありませんでした。マサヒデくんは私に暴力を振るわれた、それを痛いと思った、先生に伝えようとした、にも関わらず先生にその痛みは伝わらず、まわりの者達の貪欲さによるまんじゅうコールアンドレスポンスによって忘れさられ、彼は泣くことをも忘れ、涙の跡が乾き、鼻水の跡が乾き、鼻息によってピロピロと鼻くそのようなものが鼻から飛んでいきそうで飛んでいかずに揺れていて、その鼻くそはくそというよりかはワカメのようであり、海苔のようであり、ビラビラの風呂アカのようであり、にも関わらずも沙織先生はまんじゅうコールアンドレスポンスの創造主であることを誇りだと言わんばかりにまんじゅう食いたい軍団を一列に並べ、どこからか流れてくる橋幸夫のジェンカに合わせてフォークダンスを踊りながら給食室に向かうではありませんか。ホップ、ステップ、つながって、ミズノコキュウ、ホップステップ、ジャンプして、マサヒデくん、ホップ、ステップ、世界じゅう、まんじゅう、ほほえみの輪を広げよう、まんじゅう、マサヒデくん、悪かった、僕は謝ろうと思いました、マサヒデくん、と、声をかけようとした瞬間、マサヒデくんは微かに声を漏らしました、しかしあまりに微かな声であったため聞こえなかった、聞こえなかったが口の動きで漏らした言葉が何であるかが即座にわかってしまったのです、まんじゅう、ダメだ、マサヒデくん、君は、君だけは、まんじゅうと言葉にしてはいけない、まだ間に合う、君は、君だけはまんじゅうに飲まれてはいけない、君は訴えるべきなんだ、僕が暴力を振るったと、頭に指がめり込んで痛かったと、泣くんだ、君は泣き叫ばなければならない、まんじゅうの歓声を、橋幸夫の軽やかな歌声を、君のわめき声で破ってくれ、まわりのムードに流されては、ああ、やめて、やめて、ステップ踏まないで、君は、君だけはホップステップしてはいけないんです、マサヒデくん、マサヒデくん、ニヤケちゃダメだ、マサヒデくん、言ってはダメだ、その言葉を、まんじゅう。まんじゅう。まんじゅう。あああ。これが私の罪です。私の罪は二つあります。一つはマサヒデくんへの暴力。もう一つはマサヒデくんの叫びをまわりのまんじゅうムードから守れなかったことであります。今日、朝目覚めるとマサヒデくんのワカメのような鼻くそが鼻息に揺られていた光景ばかりが嫌に鮮明に浮かぶのです。私が罪を償うには、あの風呂アカのようなびろびろの鼻くそを食べることしかできないのではないかと考えています。オカアサン、如何でしょう、他人の鼻くそを食べて罪を償うことはできますか?


佳恵
償えません。


ターくん
償えませんか。


佳恵
あなたがマサヒデくんにできる償いはただ一つよ、


ターくん
なんですか、


佳恵
まんじゅうをあげなさい。


ターくん
オカアサン、それは、


佳恵
心の、


ターくん
え?


佳恵
心のまんじゅうをあげなさい。


ターくん
オカアサン。


佳恵
心のまんじゅうを、あげなさい。


ターくん
オカアサン。


佳恵
美味しそうだわ。まんじゅう。


終わり。